佐保路を訪ねて

奈良時代、転害門から真っすぐ西に、柳と槐(えんじゅ)の並木と貴族の邸宅が並んだ佐保路。聖武天皇陵・光明皇后陵をはじめ、僧玄昉、光明皇后、在原業平とゆかりの佐保路三観音の寺(海龍王寺、法華寺、不退寺)や、大伴家持ゆかりの地・歌碑をめぐります。

コースは一例です。
ご希望に沿って自由に設定できます。

■拝観料
不退寺:500円 (特別展期間 600円)
海龍王寺:500円 (秘仏開帳期間 600円)
法華寺:500円 (秘仏開帳期間 700円)


コース番号 SS-201
所要時間 約3時間
歩行距離 6.0km
対象期間 年中
利用交通機関 バス

一般の方の申込み

学校関係の方用申込み

このコースの概要
いち押しポイント
耳寄り情報
地図

みどころ 参考コース順路(一例です。)
興福院興福院
奈良時代、菅原の里(現在の尼ヶ辻)に和気清麻呂が学問所「弘文院」を造ったのが始まりといわれています。また、藤原百川が創建した興福尼院が前身ともされています。寛文5年(1665年)に現在地に移転し、浄土宗の尼寺として再興されました。庭は小堀遠州による造園で春日山系を借景としています。
狭岡神社狭岡神社
霊亀2年(715年)に藤原不比等が国家鎮護、藤原氏繁栄を願い、己の邸宅・佐保殿に天神八座を祀ったのが始まりとあります。佐保の地名は開化天皇の皇女で垂仁天皇の皇后である狭穂比売(さほひめ)が住んでいた土地だとの伝説があります。
笠女郎(かさのいらつめ)の歌碑
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ちなげくかも
不退寺不退寺
正式には「不退転法輪寺」といいます。
847年、在原業平が祖父平城天皇の「萱の御所」を寺としたとの一説があります。業平が仁明天皇(にんみょう)の勅命により自作の観世音像を祀ったことに始まるといわれています。業平寺とも呼ばれます。 着物の柄にも見られる業平格子が有名です。
場所 内容
転害門 出発場所 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 10分
聖武天皇陵・光明皇后陵 15分
 徒歩移動 15分
ホテルリガーレ春日野 (坂上郎女歌碑)伝大伴家持邸宅跡
 徒歩移動 5分
興福院 10分
 徒歩移動 10分(大伴家持の歌碑)
狭岡神社 10分 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 10分(絶景の道経由)
不退寺 20分
 徒歩移動 10分
ウワナベ古墳・コナベ古墳 20分
 徒歩移動 15分
海龍王寺 20分 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 5分
法華寺 20分 ここでトイレを利用できます。
バス移動 法華寺前より近鉄大和西大寺駅行き 8分又はJR・近鉄奈良駅行き 15分
近鉄大和西大寺駅又はJR・近鉄奈良駅 終了場所 ここでトイレを利用できます。
ここでトイレを利用できます。 ← 左のマークの場所では、トイレをご利用いただけます。

海龍王寺
731年光明皇后の御願によって建立されたお寺で、開基は僧玄昉です。玄昉は遣唐使としての帰国の途中暴風雨に襲われましたが、海龍王経を唱え無事帰国することができたため、寺号を海龍王寺としました。
*「十一面観音菩薩立像」特別開帳:3/23~4/7、5/1~5/9、10/25~11/10(予定)
法華寺
741年光明皇后が、父藤原不比等の元住居地に総国分尼寺として建立されたお寺です。本尊の秘仏「十一面観音立像」(国宝)は光明皇后がモデルといわれ、木彫り観音像の中でも傑作といわれています。
*「十一面観音菩薩立像」特別開扉:3/20~4/7、6/5~6/10、10/25~11/10

海龍王寺では「海龍王寺のスゴイところ」と「玄昉さんのスゴイところ」という2種のマンガ・イラストによるパンフレットを用意しています。寺の歴史と開基された僧玄昉についてわかりやすくまとめています。
「佐保山茶論」の前に大伴家持の絶唱 春愁三首のうちの一首が歌碑になっています。
我がやどのいささ群(むら)竹吹く風の音のかそけきこの夕へかも(19-4291)
このあたりに家持の佐保の別邸があったといわれています。

佐保路を訪ねて(佐保・佐紀路周辺)

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佐保・佐紀路