伝統行事と朱雀のイベント
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花まつり(法華寺・東大寺・興福寺・新薬師寺) 花まつり(法華寺・東大寺・興福寺・新薬師寺) 4月 1 – 4月 8 終日 ![]() 奈良大和路は、これからさまざまな春の花に彩られます。 この季節に行われる寺社の行事は、美しい花に囲まれ、大和路の春を満喫するのにぴったり。 花を愛でながら「花まつり」をはじめ華やかな行事を訪ねてみませんか。 ■ 法華寺 <雛会式> 4月1日~7日 741年光明皇后が、父藤原不比等のもと住居地に、総国分尼寺として建立されたお寺です。本尊の秘仏「十一面観音立像」(国宝)は光明皇后がモデルといわれ、木彫り観音像の中でも傑作といわれています。 雛会式は「天平時代から伝わる尼寺らしい気品に満ちた華やかな行事です。 身の丈30cmの55体の善財童子(華厳経を熱心に求道した童子)像を本尊十一面観世音菩薩像の前に並べ、法要が行われます。童子像が小さいので雛と呼ばれたことから、後世のひな人形の起源ともいわれています。 ※「十一面観音立像」特別開扉 3/20~4/7、5/1~5/9、6/5~6/9 ■ 東大寺 <灌仏会(花まつり)> 4月8日 午前8時~ 4月8日はお釈迦様の誕生日。 天平時代の作とされる誕生釈迦仏立像(国宝)が大仏殿前の小さな御堂に安置されます。 誕生仏が華やかな花で飾られるので、「花まつり」とも呼ばれ甘茶のふるまいも行われます。 ■ 興福寺 <仏生会(灌仏会)> 4月8日 午前10時~ 南円堂前に季節の花で美しく飾った小堂をつくり、釈迦誕生仏を安置し、甘茶をそそいでお釈迦様の誕生を祝います。 ■ 新薬師寺 <修二会> 4月8日 午後7時~ 新薬師寺の修二会は1000年の歴史の伝統を持つ行事です。 午後7時から東大寺二月堂の「お水取り」の様に11本の松明が奉納され本堂を一周します。灯明で照らされた本尊薬師如来の前で懺悔法会が行われます。 | ガイドと歩くひと味違った奈良「奈良を愛した文人たち」 13:00 ガイドと歩くひと味違った奈良「奈良を愛した文人たち」 4月 4 @ 13:00 – 16:30 ![]() 古くは万葉歌人や松尾芭蕉、近代では志賀直哉、井上靖など、奈良を愛した多くの文人たちがいます。桜咲く春の一日そんな文人たちの足跡を巡り、知らなかった奈良の魅力を発見します。 | |||||
新薬師寺 修二会 08:00 新薬師寺 修二会 4月 8 @ 08:00 – 11:30 ![]() 新薬師寺の最大行事である『おたいまつ(修二会 しゅにえ)』は、新緑と桜花満開のもと、大松火に照らし出される本堂の白壁がほのかに暗闇に浮かび上がる中、荘厳な読経の声が響いてくる一大絵巻で、さながら天平の昔に戻ったような勇壮、幽玄な行事です。 日 時: 4月8日 (晴雨不論) 午後5時 日中法要 午後7時 おたいまつ・初夜法要 午後8時30分頃 終了予定 場 所: 新薬師寺(奈良市高畑福井町) JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「破石(わりいし)町」下車徒歩10分 拝観料: 当日は午後5時から無料 (午後5時までは、大人600円、高・中学生300円、小学生150円) 問い合わせ先: 新薬師寺 0742-22-3736 ■ 午後5時、天平時代より伝わる声明が響く中、御本尊・薬師如来の御前に十一人の僧が出席して、すべての人々の罪を悔い改める「薬師悔過(けか)の法要」が執り行われます。この時、お釈迦様が身にそなえている32の優れた特徴を称える「三十二相(さんじゅうにそう)」が唱えられます。 ■ 午後7時、東大寺二月堂の「お水取り」と同じように、11本の「おたいまつ」が、桜花満開、新緑の境内を行道すると、本堂の白壁がオレンジ色に輝き、まるで古代にタイムスリップしたような感にさせられます。それに続く本堂内陣で行われる「初夜法要」では、薬師如来に桃の生花と南天を飾り、無数の灯明の明かりに薬師如来のお顔が浮かび上がり、その中で唱えられる導師の祈り、神名帳(日本全国13,800の神々の名前を早駈けで読み上げる)は、およそ1250年前から続いている声明(しょうみょう)です。 ★ 新薬師寺は、天平19(747)年、聖武天皇の病気回復を願って光明皇后が建立された寺で、「新」とは「新しい」ではなく、仏の霊験が「あらたかな」の意味です。 ★ 本堂の円形の土壇中央に安置された薬師如来坐像(国宝)と、それを護持するように武器を振り上げ、髪を振り乱し、威嚇するように居並ぶ十二神将像(内、11体が国宝)は、現在では珍しく間近で拝観することができます。 ■ 本堂(国宝)の柱の一部は明治時代に補修されました。傷んだ箇所を削り取り、新しい部材が埋め込んであります。傷の形にあわせて補修部材の形もいろいろあります。なかには菱形や五角形のほか、大工さんの<遊び心>からでしょうか、星形や、矢羽形、クリスマスツリーの形をしたもの、魚の形をしたものまであります。皆さんも変わった形の埋め込み部材を発見してみてください。 | ||||||
林神社 饅頭祭 林神社 饅頭祭 4月 18 終日 ![]() 奈良市を南北に通じる“やすらぎの道”沿いの、奈良市観光センターのすぐ北側に『県社 漢国(かんごう)神社』があります。その境内に饅頭(まんじゅう)の神様をまつる林神社があり、ここで毎年、全国から饅頭や菓子に関係する製菓業者が集い『饅頭祭』がとり行われます。 日 時: 4月19日 午前11時から 場 所: 漢国(かんごう)神社境内の林神社にて (奈良市漢国町) (近鉄奈良駅下車 西南に徒歩5分) 拝観料: 無 料 お問い合わせ: 漢国(かんごう)神社(電話:0742-22-0612) ★由 来 中国から室町期に渡来し、日本に初めて饅頭を伝えたといわれる林浄因(りんじょういん)を林神社に祭り、毎年、浄因の命日である4月19日に菓子業者が集い、例大祭を『饅頭祭』として、昭和24年からとり行われています。 ★林神社について 林神社の創立は新しく、昭和24年に、漢国神社の故和田次郎宮司が奈良の生菓子製造業者の協力を得て、室町期に中国から来日し漢国神社の近くの林小路町に住んで『奈良饅頭』を売り出した林浄因を偲び、漢国神社の境内に社殿を造り『饅頭の神』として祭られました。 現在の社殿は昭和31年に造営されたもの。社殿の裏手に饅頭塚があり、この塚は林浄因が林家の将来の発展を祈って、紅白の饅頭をこの地に埋めて、その上に饅頭の形をした石を置いた塚だといわれています。 ★耳寄り情報 林家はまた印刷業の祖でもあります。 林浄因より7代目の子孫である林宗二は、室町期に初期の国語辞典の『饅頭屋本節用集』を出版したことから印刷出版業の祖とし、奈良県印刷工業組合では、毎年全国印刷週間中の、9月15日にその顕彰祭をこの林神社で営んでいます。 ★こんなことご存知ですか? 中国における饅頭(まんとう)の始祖は、三国時代の蜀の軍師・諸葛孔明だといわれています。それは、戦時に暴風雨で濾水という川が氾濫して渡れなかった時、当時、その氾濫を鎮めるのに人間の頭を供え祀る風習がありましたが、孔明は小麦粉で人間の頭の形に模して作った蛮頭(ばんとう)を川の神に祀って、川を鎮めました。 その後、蛮頭(羊肉を詰めた小麦粉団子)が饅頭(まんとう)になり、林浄因が日本で独自に工夫して、禅僧も点心として食べられるように中に小豆餡をいれた『饅頭』(まんじゅう)を広めました。ちなみに中国では『曼』という字はすぐれたものの意で、『頭』はその最上を表すといわれています。 | ||||||
興福寺 文殊会 興福寺 文殊会 4月 24 終日 ![]() 奈良時代の藤原氏の氏寺である興福寺では、 毎年東金堂に祀られている文殊菩薩を供養し、 福を授かり文殊菩薩の知恵を享ける文殊会式が春に執り行われます。 日 時: 毎年4月25日 15時 場 所: 奈良市登大路町48 近鉄奈良駅下車 登大路を東へ100m お問い合わせ: 興福寺 電話:0742-22-7755 ◆文殊会の由来 文殊会は、仏説の文殊師利般(もんじゅしりはつ)涅槃経(ねはんきょう)をよりどころに会式が行われています。当初は文殊菩薩をお祀りして、貧者に施給し、人々を救い教化し、また孤児を養い育てることを祈願する法会でした。 わが国での当会式の起源は、平安期の淳和天皇の御代(823年~832年)に勤操(ごんぞう)僧正(石淵寺創始)が畿内において、飯を包み、菜采を加えて、貧者に施す社会福祉的な善業を公家の協力で行ったことが始まりです。天長5年(828年)には『應修文殊会事』の太政官符が下され、国家恒例の勅会として諸国の寺々で厳修されました。やがて、平安京では毎年東寺、西寺で7月8日に文殊会が行われるようになりました。 興福寺では、中院屋という塔頭(たっちゅう)で3月25日に行われたと、記録があるそうです。現在は、陽暦にかえて4月25日に東金堂の文殊菩薩尊にて執り行われています。 ◆興福寺の案内 興福寺は、藤原氏の氏寺として、藤原不比等が飛鳥の厩坂(うまやさか)寺を平城遷都の際に、京のこの外京の現在地に移した寺です。藤原氏の繁栄とともに寺領を拡大して、堂塔伽藍が百数十棟、僧侶3,000人の多数にのぼったといわれたいます。文殊会の行われる東金堂(文殊堂とも呼ばれる)に安置されている木造文殊菩薩坐像は、維摩居士像と二躯一対として仏師定慶の作と考えられています。 ◆耳寄り情報 4月25日の当日、上三条町の浄教寺を午後2時半ごろに出発し、かわいい稚児たちが奉納された大きな一字書きの額をひいて、東金堂に向かってお練りをします。そして、午後3時ごろに東金堂に安置した文殊菩薩像に授福増知恵の祈願文と能筆の額をささげ、参詣者に福が授けられます。 ◆こんなことご存知ですか? 昭和12年(1937年)の東金堂の解体修理の際、本尊の須弥壇の下から旧山田寺の薬師如来像の仏頭部分のみが発見され、白鳳仏の貴重な仏像として国宝に指定され、現在興福寺の国宝館に収納されています。またその際、天井裏からは、文殊菩薩へ奉納された多数の絵馬も発見されています。すべて文殊会での祈願の奉納物と思われます。 参考資料: 『大和の年中行事』大和タイムス社、『奈良県歴史散歩(上)』山川出版社、 興福寺ホームページ:年中行事 | ||||||