興福寺 文殊会
奈良時代の藤原氏の氏寺である興福寺では、 毎年東金堂に祀られている文殊菩薩を供養し、 福を授かり文殊菩薩の知恵を享ける文殊会式が春に執り行われます。 |
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◆文殊会の由来 | ||||||
文殊会は、仏説の文殊師利般(もんじゅしりはつ)涅槃経(ねはんきょう)をよりどころに会式が行われています。当初は文殊菩薩をお祀りして、貧者に施給し、人々を救い教化し、また孤児を養い育てることを祈願する法会でした。 わが国での当会式の起源は、平安期の淳和天皇の御代(823年~832年)に勤操(ごんぞう)僧正(石淵寺創始)が畿内において、飯を包み、菜采を加えて、貧者に施す社会福祉的な善業を公家の協力で行ったことが始まりです。天長5年(828年)には『應修文殊会事』の太政官符が下され、国家恒例の勅会として諸国の寺々で厳修されました。やがて、平安京では毎年東寺、西寺で7月8日に文殊会が行われるようになりました。 興福寺では、中院屋という塔頭(たっちゅう)で3月25日に行われたと、記録があるそうです。現在は、陽暦にかえて4月25日に東金堂の文殊菩薩尊にて執り行われています。 |
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◆興福寺の案内 | ||||||
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◆耳寄り情報 | ||||||
4月25日の当日、上三条町の浄教寺を午後2時半ごろに出発し、かわいい稚児たちが奉納された大きな一字書きの額をひいて、東金堂に向かってお練りをします。そして、午後3時ごろに東金堂に安置した文殊菩薩像に授福増知恵の祈願文と能筆の額をささげ、参詣者に福が授けられます。 | ||||||
◆こんなことご存知ですか? | ||||||
昭和12年(1937年)の東金堂の解体修理の際、本尊の須弥壇の下から旧山田寺の薬師如来像の仏頭部分のみが発見され、白鳳仏の貴重な仏像として国宝に指定され、現在興福寺の国宝館に収納されています。またその際、天井裏からは、文殊菩薩へ奉納された多数の絵馬も発見されています。すべて文殊会での祈願の奉納物と思われます。 | ||||||
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