登弥神社 粥占い
富雄川沿いの奈良市石木町に式内社『登弥神社』があり、毎年、粥占いという『筒粥祭』の行事があります。 | ||||
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◆筒粥占いの由来 | ||||
本年の作付けする農作物の豊作を占う行事です。 当日は、午前3時に「本当屋(今年の当番の人の意味)」が神社に参詣し、諸準備をして午前4時から境内に据え付けた約25リットル入りの大釜に、水と米・アズキと、長さ約20センチの竹筒(女竹:富雄川沿いから求める)をすだれのようにくくりつけたものを釜の中に一緒に入れ、二時間程度煮てアズキ粥を作ります。午前6時ごろ、神官さんや年番三人(昨年度、今年度、来年度当番)が神社に集まり祭典が催されます。 まず炊き上がった粥占いの竹筒を釜から出し、三宝に載せて神前に供えます。神官の祝詞奏上、玉串の奉奠の後、神官の立会いのもと、「本当屋」の方が竹筒を一本ずつ割り、竹の中に入っている米粒とアズキ粒の多い少ないによって豊作の可否を判断します。米粒とアズキ粒が多く入っているものが上々です。占う品目(農作物)は37品目にわたるため、粥に入れる竹筒は全部で37本で、くくりつけて入れられます。占いの結果は、氏子の農家に知らされ、その後、当日炊いたアズキ粥は参詣人に自由に振舞われます。 |
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◆登弥神社の案内 | ||||
延喜式内神社で、祭紳は物部氏の祖神である『饒速日命』(にぎはやひのみこと)です。通称は木嶋明神と呼ばれ、地元の大字の地名(木嶋(このしま)、石堂、小和田、大向、西城)の鎮守になっていて、一の鳥居近くの参道の灯篭には「木嶋大明神」と刻まれています。 | ||||
◆耳寄り情報 | ||||
こうした粥占いがいつ頃から始められたか、粥占いの起源や、またなぜアズキ粥で占うのかなどわかりませんが、登弥神社で使われる大釜(鉄釜)には、元禄8年(1695年)の陽刻銘があることから、江戸期には行われていたといわれています。 | ||||
◆こんなことご存知ですか? | ||||
登弥神社の境内の北東方向には、ユヤマから一の谷にかけての広範囲に古代の祭祀遺跡があり、発掘調査で土馬の破片や、和銅開珎、土師器片などが出土しているそうです。 | ||||