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西大寺 初釜 大茶盛り式

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いつ:
2019年1月15日 全日
2019-01-15T00:00:00+09:00
2019-01-16T00:00:00+09:00
どこで:
西大寺
奈良市西大寺芝町1-1-5
連絡先:
西大寺
0742-45-4700
東大寺に対する西の大寺として奈良時代に称徳天皇の勅願で建てられた西大寺では、毎年新年に初釜の儀式として大茶盛り式の行事が行われます。
 
日  時: 毎年1月15日
場  所: 奈良市西大寺芝町1-1-5
近鉄大和西大寺駅南口から徒歩3分
お問い合わせ: 西大寺 電話 0742-45-4700
 
◆茶盛り式の由来
延応元年(1239)の正月、14日間の修正会の翌日の1月16日、鎮守八幡宮に献茶をして、修法満願のお礼を言上し、参詣人にもお茶を振る舞ったことに始まると伝えられています。当時ではまだ貴重な高貴薬とされていたお茶を皆で廻し飲みし、この一年の無病息災を祈っていましたが、次第にたくさんの人々が参詣するようになり、小さな茶碗では間に合わず、大きな茶碗で茶を点てて廻し飲みするようになったので、「大茶盛」の言葉が生まれたといわれています。
西大寺 初釜 大茶盛り式(伝統行事 1月 西大寺 初釜 大茶盛り式)
写真:奈良市観光協会
 
◆西大寺の案内
称徳天皇が鎮護国家の祈りから、天平宝字8年(764)に東の大寺に対し西の大寺として、金銅四天王像造顕の発願をして四王堂を建立しました。
その後771年までに、薬師金堂、弥勒金堂、五重の東西双塔、十一面堂などの広大な七堂伽藍が整いましたが、平安期に多くの堂宇が焼失し、
鎌倉期文暦2年(1235)に中興の祖の興正菩薩叡尊が復興に尽力しました。いま現存する堂宇は江戸期以後に再建されたものです。
四王堂
  本堂: 本尊の釈迦如来立像(重文)は叡尊が嵯峨清涼寺に参詣し、その釈迦像を模刻させたといわれています。
  愛染堂: 叡尊の念持仏であった愛染明王坐像(重文)が安置されています。また、堂内左手に叡尊坐像(重文)も安置されています。
  四王堂: 本尊に十一面観音立像(重文)と四天王像(重文)が安置されていて、特に、増長天が踏みつけている邪鬼は創建当初の貴重な像で、憎めない表情が印象的です。
  聚宝館: 寺宝の、国宝の絹本着色十二天像十二幅、金銅透彫舎利塔、金銅五瓶舎利塔などが収蔵されています。
西大寺(伝統行事 1月 西大寺 初釜 大茶盛り式)
写真:奈良市観光協会
 
◆耳寄り情報
名物行事の「大茶盛」は、正月初釜以外にも春の4月第2日曜とその前日の土曜日と、秋の10月第2日曜日に境内光明殿で開催されています。
そして、大茶盛に出される茶菓子は、「金銭」と呼ばれる幻の金銭貨「開基勝宝」を象ったお菓子です。この金貨は天平宝字4年(760)に金・銀・銅の三種の貨幣が鋳造された記録がありますが、金貨が江戸期寛政6年(1796)に西大寺の西塔跡から一枚だけ発見されただけで、幻の金貨とされていました。
ところが、昭和12年12月8日に西大寺西北の丘陵地から「開基勝宝」金貨31枚が出土し、大騒ぎになりました。これを記念して、この一帯を西大寺宝が丘と名付けられたということです。
 
◆こんなことご存知ですか?
四王堂の前に放生池があり、その池畔に謡曲『百万』ゆかりの柳の木があります。謡曲『百万』によると、昔、百万という舞の名手が、男の子を連れて西大寺の念仏会に参詣に来ましたが、雑踏の中で子供を見失ってしまいました。狂ったように探しましたが見当たらず、この柳の下で泣いていた子供は、雲水僧によって修行に連れて行かれてしまいました。狂女になった母は、たまたま京都嵯峨の清涼寺で僧に連れられていたわが子に巡り会い、正気にたちかえることができました。百万の愛児は清涼寺で仏門に入って、名僧になったといわれています。この伝承から昭和50年に田中哲昌氏作の「狂女百万」の詩碑が建立されています。
 

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