ならまち散策

繁華街 から一歩入れば、格子の美しい町家が並ぶ地区。家の軒に赤いぬいぐるみの猿がぶらさがる不思議な町。
江戸・明治の面影を今に伝える「ならまち」は、落ち着いた風情を漂わせ、訪れる人になつかしさを感じさせてくれます。迷路のような小路を歩けば歴史の横顔に出逢える、そんな町・「ならまち」でたくさんの素敵な新発見をしてみませんか。

コースは一例です。
ご希望に沿って自由に設定できます。

■拝観料・見学料
元興寺極楽坊:500円 誕生寺:500円
十輪院:400円 今西家書院:350円


コース番号 NM-100
所要時間 約3~4時間
歩行距離 3.0km
対象期間 年中
費用(公共交通費・拝観料等) 約1,750円
利用交通機関 バス

一般の方の申込み

学校関係の方用申込み

このコースの概要
いち押しポイント
耳寄り情報
地図

みどころ 参考コース順路(一例です。)
元興寺極楽坊
わが国の浄土三曼荼羅の一つ、智光曼荼羅発祥の地。元興寺の僧坊でしたが、1244年ごろ、本堂と禅堂の二つに分けて再建されました。数少ない僧坊の遺構であり、中世庶民信仰資料の宝庫でもあります。1998年に世界遺産に登録されています。収蔵庫に収められている五重小塔は建築物として国宝に指定されています。
庚申堂
江戸時代から始まった庚申信仰の中心地です。人々は60日毎に巡ってくる庚申の夜は庚申堂に集まり、自分の体内にいる三尸の虫が悪事を天帝に告げ口しないように、一晩中眠らないようにしていたそうです。
ならまち格子の家
ならまちの伝統的な町家を再現、訪れる人が町家の生活様式に直接触れることができます。「みせの間」「中の間」「奥の間」の三間が一列に並び、空間を無駄なく使うため階段の下部は引き出しになっています。(箱階段) 二階は「つし二階」と言って少し天井が低く、倉庫や使用人の部屋とされてきました。
場所 内容
近鉄奈良駅 出発場所 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 18分
元興寺極楽坊 30分 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 3分
奈良町資料館 10分(月曜日休館)
 徒歩移動 1分
庚申堂
 徒歩移動 4分
徳融寺
誕生寺 要予約
 徒歩移動 2分
高林寺 要予約
 徒歩移動 1分
ならまち格子の家 10分(月曜日休館) ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 3分
元興寺塔跡 10分
御霊神社 10分
 徒歩移動 4分
十輪院 30分
 徒歩移動 5分
今西家書院 10分 ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 3分
名勝大乗院庭園文化館 10分(月曜日休館) ここでトイレを利用できます。
 徒歩移動 20分
JR・近鉄奈良駅 終了場所 ここでトイレを利用できます。
ここでトイレを利用できます。 ← 左のマークの場所では、トイレをご利用いただけます。

現在の「ならまち」は昔の元興寺の境内にすっぽりと入っていると言ってよいでしょう。今の元興寺極楽坊や塔跡を巡って、往時の面影に想いを馳せたり、また元興寺の栄枯盛衰を振り返ってみてはいかがでしょうか。
元興寺の歴史は、蘇我馬子によってわが国で最初に造られた(596年)本格的寺院(法興寺・飛鳥寺)で、創建時の瓦は今でも使われています。平城遷都にともない718年現在地に移され、南北4町、東西2町の境内に金堂・五重塔・講堂などが建ち並ぶ大伽藍を誇っていました。しかし藤原氏が権力を握っていたためか、国の経済的なバックアップを得られず、平安時代に入ると衰退を余儀なくされてしまいました。
中世から近世にかけては、火災によって多くの堂塔が焼失し、次第に寺地は小さくなり、現在に至っています。つまり、「ならまち」は元興寺の旧境内の伽藍跡に拓けた町家の並びなのです。
元興寺の今昔を詠んだ詩;
故郷の 飛鳥はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしよしも 大伴坂上郎女 万葉集 巻6-992
虫鳴くや 七堂伽藍 なにもなし 正岡  子規
初冬や 唐辛子干す 塔の跡 松瀬  青々
みみず鳴く あたりもかって 大伽藍 阿波野 青畝
中将姫の説話(要約)
中将姫は747年、右大臣藤原豊成と紫の前との間に生を受けましたが、姫が5歳の時に母が他界したため、その後は継母に育てられました。姫は利口で美しく、9歳の時には孝謙天皇に召され琴を演奏したところ、非常に上手であったので、後には三位中将の位を授けられるほどになり、このことから中将姫と呼ばれるようになりました。一方、継母は姫をいじめ、ついに殺害を計画し、姫が14歳の時山に連れ出し殺すように家来に命じました。しかし家来は信仰深い姫を殺すことが出来ず、雲雀山(宇陀市菟田野区)で匿い育てました。翌年、山へ狩りに来た父豊成に発見され、再び奈良の都に帰ることが出来ましたが、度重なる辛苦に姫は世の無常を悟り、当麻寺に出家するに至ります。26歳の時、蓮糸を用いて一晩で当麻曼荼羅を織り上げ、29歳で生きながら西方浄土へと旅立ったと伝えられている中将姫説話は、中世以降、能や歌舞伎、浄瑠璃に多く描かれています。

今西家書院には、珍しい建築様式やおもしろい細工が施されています。
上段・中段・下段の間 ・・・ それぞれに段差が設けられ、身分によって入ることができる部屋が決められていました。
猿頬(さるほほ) ・・・ 障子の桟・柱を細くみせるように削っています。(頬が削げているところから付けられた名前です)
貼壁 ・・・ 壁は和紙を何枚も貼り重ねてつくられています。
猫間障子 ・・・ 一本の溝に二枚の障子がはまっています。猫は一本の線上を歩くといわれ、この名前が付けられました。
半蔀(はじとみ) ・・・ 上下二枚に分けられた蔀戸のことで、上部は上に跳ね上げ、下部は濡れ縁に立て掛け、日光・風雨をさえぎります。
「ならまち」は、“古い町並みを保存しよう”と奈良市と住民の努力で守られている一角です。観光地であると同時に生活の場でもあります。車の往来には十分にお気をつけください。
誕生寺や徳融寺のある町名は「三棟(みつむね)町」と呼ばれていますが、この辺りは中将姫と父豊成、母紫の前の屋敷が三棟並んでいたところから「三棟殿」と称されていた所であり、現在の町名はこのことに由来しています。
1560年、松永久秀が多聞城築城の際、社寺の石を調達して 石垣を組んでいたために、徳融寺の豊成父子の石塔も危うく運び去られるところでした。隣の「安養寺」に住んでいた連歌師が、「曳き残す 花や秋咲く 石の竹」と詠み、久秀に由緒を送りましたので、久秀は石塔を返したと言われています。石の竹とは「石塔」と「石竹」(別称[カラナデシコ]のこと)とをかけた言葉で、「冬の間は雑草同然のカラナデシコも、秋が来れば美しい花を咲かせるように、荒れ果てた父娘の石塔でも、時節にめぐりあえば人々に供養される。だから曳き残して置くように」という意味です。
《奈良の地酒について一言》
お酒の発祥地は奈良であることは良く知られた所です。 元々神社の神様にお供えする神酒として米と麹から作られたものです。奈良県内には歴史の古い酒造元が地域毎に有りますが、清酒発祥の地でも有ります。特に日本の清酒造りは室町時代で、奈良市菩提山町の正暦寺(僧坊酒)が始まりです。
≪ならまち≫散策後にゆっくりと地酒を楽しまれては如何でしょうか。秋の新米を丁寧に精米して、伝統の技法と杜氏さんの熱意で初冬に新酒が出来るそうです。 最近健康面と美容面からも、日本酒の効用が注目されています。 但し適量を!!

ならまち散策(ならまち)

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